あの日、私は万全の体制で山奥のキャンプ場に臨んだはずでした。夏場のアブやブヨの猛攻から身を守るため、事前に自作した強力なハッカ油スプレーをリュックのサイドポケットに忍ばせ、準備は完璧だと自負していました。市販の化学的なディート成分を含む薬剤を避け、より身体に優しい天然成分を選んだことが、後にこれほどの恐怖を招くとは夢にも思わずに。テントの設営を終え、汗をかいた肌にひんやりとした爽快感を求めて、私はシュッと勢いよく自作スプレーを全身に纏いました。周囲にはハッカの香りが立ち込め、一時は不快な羽虫たちが遠ざかっていくのを感じて満足感に浸っていました。しかし、異変が起きたのはそのわずか十分後です。森の奥から、低く重厚な「ブーン」という音が近づいてきました。現れたのは、親指ほどもある巨大なオオスズメバチでした。驚いたことに、そのハチは私の周りを逃がさないように執拗に旋回し始めました。最初は偶然かと思いましたが、ハチは私の顔のすぐそばまで急接近し、まるで匂いの出どころを突き止めようとするかのような不気味な動きを繰り返しました。私は以前読んだ「ハチに遭遇したら動いてはいけない」という教訓を必死に思い出し、石のように静止しましたが、ハッカの匂いが強すぎるのか、ハチは去るどころか仲間の個体まで呼び寄せたようで、視界にはいつの間にか三匹のスズメバチが私の周囲を監視するように飛んでいました。その時の恐怖は、言葉では言い表せません。ハッカ油の清涼感は消え去り、代わりに冷や汗が全身から噴き出しました。後で知ったことですが、ハッカ油の強烈な匂いは、スズメバチにとって自分の縄張りに現れた未知の敵が放つ「挑戦状」のように感じられることがあるそうです。さらに悪いことに、私は効果を高めようとハッカ油の原液をかなり濃いめに配合しており、その刺激が彼らの防衛本能を極限まで刺激してしまったのです。結局、私は一時間近くテントの中で息を殺して過ごし、匂いが風で十分に薄まるのを待つしかありませんでした。この一件で、私は「天然成分=安全」という思い込みが、いかに危険な油断を生むかを痛感しました。ハッカ油は確かに素晴らしい香りを持ち、多くの害虫に効果がありますが、ことスズメバチのような高度な知能と攻撃性を持つ捕食者に対しては、逆効果になるリスクがあることを知っておかなければなりません。これからアウトドアを楽しむ皆さんには、私の失敗を教訓にしてほしいと思います。特にスズメバチの活動が活発な場所では、匂いで対策をするのではなく、物理的な網戸や防虫ネット、あるいは適切な白っぽい服装といった、相手を刺激しない防衛策を優先すべきです。ハッカ油の爽やかな香りが、時として猛獣を呼び寄せる呼び水になるという事実は、自然の奥深さと怖さを象徴する出来事として、私の記憶に深く刻まれています。