それは午前二時、私がベッドの中でスマートフォンを眺めていた時のことでした。視界の端で、白い壁の上を動く黒い塊を捉えた瞬間、私の全身の毛穴が収縮しました。それは紛れもなく、大きなゴキブリでした。私は音を立てないようにゆっくりと起き上がり、近くにあった雑誌を手に取りましたが、その殺気を察知したのか、ヤツは驚異的なスピードでクローゼットの裏側のわずかな隙間へと吸い込まれるように消えていきました。ほんの数秒の出来事でしたが、その後の私の心境はまさに戦場そのものでした。クローゼットを動かす体力も気力もなく、ただ見失ったという事実だけが重くのしかかります。一度見てしまった以上、もう以前のような無垢な気持ちでこの部屋に留まることはできません。「寝ている間に顔の上を歩かれたらどうしよう」「耳の中に入ってきたらどうしよう」という、インターネットで聞きかじった恐ろしい都市伝説が次々と脳裏をよぎり、布団を頭まで被っても足先がソワソワして落ち着きません。結局、私はその夜、安眠を諦めて徹底的な「防衛陣地」の構築に乗り出すことにしました。まず行ったのは、寝室内のすべての光源を確保することです。暗闇こそがヤツらの味方であるなら、私は部屋を真昼のように明るくしてやろうと考え、主照明だけでなくデスクライトや間接照明まで総動員しました。次に、ベッドを部屋の中央へと移動させました。島のように孤立したベッドの上であれば、ヤツが登ってくるためには脚を伝うしかありません。その脚の部分に、私はキッチンから持ってきたアルミホイルを巻き付けました。ツルツルとした表面はヤツらにとって登りにくいはずだという、半ばパニック状態の知恵でしたが、それが功を奏したのか、少しだけ呼吸が楽になりました。さらに、ゴミ箱に残っていたわずかなコンビニ袋の残骸もすべて二重に密閉して別の部屋へ出しました。ヤツを惹きつけるエサの匂いを一滴たりとも残したくなかったのです。時計の針が四時を回る頃、私はようやく、自分が作り上げたこの奇妙な要塞の中で、うとうとと眠りにつくことができました。翌朝、目が覚めた瞬間に昨夜の出来事が夢ではなかったことを思い出し、すぐに専門の駆除業者に電話をしました。業者の方は私の「アルミホイル作戦」を聞いて苦笑いしていましたが、見失った直後にパニックで部屋を荒らさなかったことは正解だと言ってくれました。結局、クローゼットの裏に設置した粘着トラップに、その日の夕方、件の個体がかかっているのを発見し、私の長い戦いは幕を閉じました。あの夜の寝れない苦しみは、今となっては笑い話ですが、ゴキブリを見失うということがどれほど人間の精神を衰弱させるかを痛感した出来事でした。もし再び同じことが起きたら、私は迷わずホテルへ避難するかもしれません。それほどまでに、見失ったゴキブリの存在感は、実物以上に巨大なものなのです。
深夜に消えた黒い影との戦いと安眠の記録